こんにちは、かしゅーです。
今回は2014年10月からフジテレビ系「火曜21時枠」で放送されたドラマ『すべてがFになる』。
森博嗣さんのベストセラー小説を原作に、アニメ化もされた人気シリーズですが、今回はそのドラマ版について、特に第5話を中心に紹介していきます。
原作ファン・アニメファンの私が実際に視聴した上での感想を交えながら、ドラマならではの見どころを語りますので、これから作品を観ようか迷っている方の参考になれば嬉しいです。
出演者紹介
まずは主要キャラクターを演じる俳優陣を紹介します。
- 西之園 萌絵(にしのその もえ):武井咲(オスカープロモーション)
- 犀川 創平(さいかわ そうへい):綾野剛(トライストーン・エンタテイメント)
- 真賀田 四季(まがた しき):早見あかり(スターダストプロモーション)
原作・アニメ版では犀川先生が主人公として描かれていますが、ドラマ版では萌絵が物語の中心となっています。この構成の違いがドラマ版の大きな特徴です。

真賀田博士もキーとなる存在なんだね



真賀田博士は森博嗣さんの小説の中でも、複数のシリーズで大事な役割を担っています。
ちなみに、Wikipediaなどでは真賀田 四季は工学博士と書かれているのですが、犀川先生も博士だと思うのですが、そういった記載や発言は少ないように思います。四季博士と呼ばれたりするからでしょうか?
ストーリー(第5話〜第6話)
ここからは第5話を中心としたストーリーを整理していきます。なぜドラマ版の5話を紹介するかを話します。
『すべてがFになる』を含め、S&Mシリーズと言われるものがあります。その中でも『すべてがFになる』と『有限と微小のパン』の2作品に真賀田 四季という人物が登場します。真賀田四季は「人類のうちで最も神に近い」と言われる天才プログラマーと言われています。情報工学、特に仮想現実、人工知能の領域で研究実績があり、他の分野においても、豊富な知識を持ち合わせている方です。そんな真賀田博士(早見あかりさん)が出演するのが、第5話、第6話と原作でいうと『有限と微小のパン』の第9話、第10話です。
それでは第5話の批評を紹介していきます。
真賀田四季博士との出会い
萌絵(武井咲)は神南大学工学部建築学科の3年生です。指導教員である犀川先生(綾野剛)は准教授として大学に勤めています。
ある日、萌絵は真賀田四季博士(早見あかり)が暮らす研究所を訪れることになります。
そこで萌絵は、14歳のときに真賀田博士が両親を殺害した過去について直接本人に問いかけます。博士は不気味に微笑みながら、こう答えました。
「両親を殺したのを目撃した。――お人形が殺した。」
この場面では、萌絵の類まれな計算能力や発想力が描かれ、天才である真賀田博士をも驚かせます。ただドラマ版では萌絵を主人公としているため、彼女の感受性の高さが強く描かれていると思いました。
さらに真賀田博士は、自身が多重人格であることを萌絵に告白します。小説では彼女の他の人格について、後の「四季」シリーズ(『四季 春』など)で深掘りされる重要な伏線となります。
「すべてがFになる」という言葉
会話の中で萌絵は最後に「また博士に会えますか」と尋ねます。
真賀田博士の返答は――「すべてがFになったら」。
ここで作品のタイトルが登場します。抽象的でありながらも意味深な言葉は、その後の展開に向けて強烈な印象を残します。
島での悲劇
その後、犀川先生と萌絵はゼミ旅行の一環として再び研究所のある島へ向かいます。研究所には「デボラ」という監視システムや、荷物運搬用ロボット「P1」が導入されています。



最近は飲食店の配膳ロボットとかを見るようになったね。



ただ原作が発刊された1996年当時を考えると非常に先進的な発想だったと思います。
ところが、その日、研究所内で事件が発生します。
真賀田博士の部屋の扉が不具合で開かなくなり、原因を調べていたところ突然警報が鳴り響きます。やがて扉が開き、姿を現したのはP1の上に横たわる真賀田博士の死体がありました。しかも花嫁衣装のウェディングドレスを着せられ、手足は切断されていました。
衝撃的な光景に研究員たちは騒然となります。外部に通報しようと試みますが、電話もメールも完全に遮断されており孤立状態となっていました。
その後、真賀田博士の妹である真賀田未来をヘリで運んできた研究所の所長の進藤に無線で警察を呼ぶように伝えました。進藤は「無線が繋がらなかったら、再度浮上して連絡をしてみる」と言います。その後、数分経っても進藤所長がヘリから降りてこないのを不審に思い、ヘリの元へと行くと進藤所長の遺体がありました。
連続殺人を疑い、犀川・萌絵たちは再び真賀田博士の部屋へ踏み込むことを決断します――。



ハラハラする展開だね。



この続きは第6話へと繋がります・
個人の感想・考察
ここからは、私自身がドラマ版を見て感じたことをまとめます。
萌絵(武井咲)のキャラクターの違い
まず注目すべきは、原作とドラマで萌絵のキャラクターの違いです。原作の萌絵は“才色兼備なお嬢様”というイメージに加えて、タバコやスポーツカーなど少し大人びた要素が描かれていました。
ドラマ版では武井咲さんが演じることで清純さと感受性の高さが前面に出ており、原作とは違った印象を受けます。私としては原作のキャラクターのほうが好きだったので、原作に忠実な役柄へ落とし込めていたらと残念な気持ちになりました。
犀川先生(綾野剛)のキャラクターの違い
一方で犀川先生は、原作に近い形で再現されていると思いました。特にタバコをくゆらせるシーンがそのまま再現されているのは、原作ファンとしては嬉しいポイントでした。ただ推理をしているシーンの演出は非常にチープと言わざるを得なかったです。
真賀田四季(早見あかり)のキャラクターの違い
真賀田四季は、原作では美しく妖しい存在感が際立っていました。
彼女は「人類に最も近い神」と呼ばれる天才プログラマーであり、仮想現実や人工知能の分野で飛び抜けた才能を持っています。しかし同時に多重人格であり、14歳の時に両親を殺害した過去を背負っています。
早見あかりさんの演じ方では、その知性と魅力がどうにも伝わらないように思いました。
サブキャラクターの扱い
また個人的に惜しいと感じたのは、島田さんの出番が少ないことです。彼女ははこの後の「Gシリーズ」での『Ψの悲劇』などにも登場する重要人物なのに、ドラマ版ではあっさりとした扱いになっているのが少し残念でした。
進藤所長の存在感
ドラマ版の進藤所長は“イケオジ”風に描かれ、アニメ版や原作の年配キャラとは違った印象です。アニメ版では年配のおじさんなのですが、真賀田博士との関係について触れているシーンが切なくて好きです。進藤所長はどのように真賀田博士を見ていたのか、真賀田博士は進藤所長のことをどう見ていたのかが細かく描かれています。そういう意味ではアニメ版のほうが四季シリーズをもう一度読みたくなるような内容でした。
まとめ|『すべてがFになる』は知的好奇心を刺激するミステリードラマ
ドラマ『すべてがFになる』第5話は、シリーズの核心である真賀田博士が本格的に登場する重要回です。彼女の不気味さ、孤島の研究所という閉鎖空間、そして「すべてがFになる」という謎めいた言葉――すべてが重なり合い、強烈なサスペンスを生み出しています。



やっぱり小説を忠実にドラマを作るのは難しいね



ここまで酷評してきましたが、ドラマ版も観てみるのをおすすめします。
ドラマ版を観ることで、原作やアニメ版とは違ったキャラクター描写や演出を楽しむことができます。ドラマ版から入っていただき、原作を読んでいただけると良いと思います。
知的な会話劇や密室トリック、人間ドラマの交錯は魅力的ながら、全体としてはやや物足りなさも感じる作品です。とはいえ、綺麗な映像美や豪華俳優陣の化学反応には十分見応えがあり、推理好きや森博嗣ファンなら一度は観ておきたいドラマとなっています。
このドラマの主題歌はゲスの極み乙女。のデジタルモグラです。独特のリズムと歌詞が物語の不穏な空気をさらに盛り上げています。
👉 ドラマ『すべてがFになる』は、原作やアニメと見比べると新しい発見があるので、3作品を横断的に楽しむのをおすすめします。
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