3回目の休職と独立への挑戦 ― 双極性障害と向き合いながら歩んだ1年

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こんにちは、かしゅーです。
今回の記事では、私が3回目の休職から復職するまでの約1年間を振り返ります。この期間は、ただ「休む」だけでなく、独立を夢見て挑戦したり、大きな失敗を経験したりと、人生において非常に濃い時間となりました。

同じように精神疾患や双極性障害を抱えている方にとって、あるいは休職・転職を考えている方にとっても、きっと参考になる部分があると思います。

休職・転職については以下の記事も参考にしてください。


目次

「休むこと」への恐怖と独立への衝動

3回目の休職に入る前、上司からはこう言われました。

「休職期間を満了して退職になってもいいから、とにかく身体を休めて」

普通なら安心できる言葉かもしれませんが、当時の私は「退職」というワードに強く反応してしまいました。頭の中は「辞めた後どうしよう」という不安でいっぱい。実際に休みに入ると、時間を持て余し「無」の状態に陥りました。

そんなときにふと心に芽生えたのが「独立して働いてみたい」という衝動。今振り返れば、これも躁の波の影響だったのだと思います

やはり新しいことをしようとギアを上げる時は躁の状態が多いんですね。

かしゅー

必ずしもそれが悪いことだとは言えないですが、躁になり始めているかもと自分で意識を持てることは大事です。


動画編集スクールへの挑戦と現実

独立の第一歩として選んだのは動画編集でした。昔からドラマやアニメ、芸能に関心があり、動画を作る世界に夢を抱いていたのです。

そこで入会したのがある動画編集スクール。費用はなんと80万円。今思えば高額な投資でしたが、

「これで人生が変わるかもしれない」と本気で信じていました。

スクールのカリキュラムは4つの課題で構成されていました。

  • YouTube向け動画
  • 会社紹介用動画
  • 店舗紹介用動画
  • 自主課題

高額な受講料を払ったからにはと必死になり、全課題をコンプリート。実際に最後までやり切る人は2割程度とのことで、自分の粘り強さは出せたと思います。

さらにスクール内でのチャレンジ企画にも参加し、企業向けの動画を実際に制作。編集だけでなく、カメラマンや企画担当とのやり取りを通じて、動画制作の現場感を知ることができました。

動画編集スクールに通って良くなかった点はありますか?

かしゅー

比較的分かりやすく、担任の先生も親身に教えてくれたので、カリキュラムには問題を感じませんでした。ただ80万も払ってまでも通うかと言われると冷静になると必要無かったのではと思います。


案件を受けてみて気づいた「割に合わなさ」

課題を終えた後、実際にYouTube編集の案件を受注。ところが、現実は厳しいものでした。

  • 動画の長さ:25分
  • 報酬:1本あたり約12,000円
  • 作業時間:20時間

時給にすると600円。どう頑張っても生活の糧にはできない金額です。

結局、私は動画編集を「本業」ではなく「趣味として小遣い程度稼げればいい」という位置づけに切り替えました。今は月に4,000円ほど。小さな収入源ですが、気持ちの整理ができた点では意味がありました。

時給は最初はそんなものだと割り切れなかったのですか?

かしゅー

最初の案件以外にも仕事を取るようにしたのですが、思うように単価は伸びませんでした。


デイトレードに挑戦、そして大損失

動画編集と並行して、2024年7月からはデイトレードにも挑戦しました。株式投資には学生時代から興味があり、中長期での保有経験はありました。しかし休職で時間ができたこともあり、「短期売買で稼げるのでは」と考えたのです。

ところが現実は甘くありませんでした。典型的な「コツコツドカン」を繰り返し、気づけば資産はみるみる減少。

特に大きな打撃となったのが、

  • 2024年8月「令和のブラックマンデー」
  • 2024年9月「石破総理誕生」の政変

この2つの局面で大損を出し、最終的には450万円の損失。加えて動画編集スクールの80万円もあり、トータルで年収1年分以上の資産を失ったことになります。

デイトレードに失敗して、もう株はやっていないの?

かしゅー

今は高配当株投資にシフトしています。


復職に向けた準備と「社内ニート」状態

資産を大きく減らしたショックに加え、課長から「そろそろ復帰してはどうか」と連絡をもらったことが転機になりました。

私はリワーク施設には1回しか通えないことを知っていたため、復職に向けて自力でリハビリに取り組みました。

  • 睡眠・生活リズムの改善
  • 読書習慣の再開
  • 軽い運動

こうした積み重ねの末、2024年12月に復職しました。

ただ、復職後の私に与えられた仕事はほとんどなく、毎日ネットサーフィンや資格勉強で時間をつぶす日々。上司からは「このまま無理をせず、定年まで過ごしてください」と言われ、実質的に社内ニートとなりました。

かつての自分なら「屈辱だ」と感じていたでしょう。しかし今では「仕方ない、諦めよう」と気持ちを切り替えることができています。

社内ニートという言葉を初めて聞きました。

かしゅー

企業に在籍しているにもかかわらず、実質的な業務がほとんどなく、暇を持て余している状態の社員のことを言います。


お金への不安と障害年金という選択肢

とはいえ、現実には昇格も昇給も見込めない未来が待っています。さらに2024年の大損失もあり、「なんとか生活を安定させたい」という気持ちは強まるばかりでした。

その中で思い立ったのが、障害者年金の申請です。これまで「自分が対象になるのか」と迷っていましたが、藁にもすがる思いで動き始めました。

具体的な申請方法や手続きの流れについては、次回の記事で詳しく紹介していきたいと思います。

障害者年金とは?という紹介は以下の記事をご覧ください。


まとめ ― 病気と付き合いながら生きる現実

3回目の休職から復職までの1年は、

  • 独立を夢見て動画編集に挑戦
  • デイトレで大損失を経験
  • 資産と心を消耗
  • 復職後は社内ニート状態
  • 最後に障害年金申請を決意

と、波乱万丈の連続でした。

双極性障害を抱えながら生きていくのは本当に大変です。しかし同時に、この経験を通して「自分なりの折り合いのつけ方」を学ぶこともできました。

もしあなたが同じように休職中だったり、将来への不安を抱えていたりするなら、無理に前を向こうとしなくても大丈夫です。試行錯誤しながらでも、自分なりの生き方を見つけていけるはずです。

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